あるSNSで「…で、イースターとは何を食べる祭りなんだい?」という投稿が拡散されているの確認した。
(もうソースなどはひいてこないので、発狂した人間の幻覚だと思っていただいてもかまわない)
「世界のイースター菓子まとめ記事」を作った自分の感覚は間違っていなかったのだと思った。
【世界のイースター伝統菓子】欧州ヨーロッパ編21選~イギリス・ギリシャ・スウェーデンなど~
「イースター お菓子 伝統」などのキーワードで読まれている。
つまり、「調べている人間は一定数いる」ということだ。(サーチコンソールを入れているので、たとえこの記事じたいが読まれていなくても「調べられている総量」もそれなりにわかる)
なので、このSNSの発言やそれに連なる反応に、
初動ではやや嘲笑的なニュアンス…「俺に教えてみろよ」みたいな…が含まれている印象が強かったのが、やや不快だった。
私が世界各地のイースター菓子を調べるとき、
そのお菓子が作られたり食べられたり贈られたりしているであろう人の営みや文化の一端をかいまみて、
自分ではとても掬いきれない情報の量にめまいを覚えつつ、
『世界は広く、自分は何も知らないのだ』と言うことを恥入りながら、
また、ヨーロッパ系のお菓子しか現時点でピックアップできない己のリサーチ能力のなさに恥ずかしさを覚えながら(ちなみにそれすら満足に行えていない)、
作ったものだが、
先に触れたような厚かましい態度がもて持て囃されるのならば、そこまで恥いる必要はなかったのかもしれない。
ただ、イースターはキリスト教徒にとってめでたくはあれど、
日本ではキリスト教に帰依してない人がほとんどなので、そこにめでたさを覚える蓋然性はないはずだ。
だから、

カレーにゆで卵でも乗せて食っとけ。
食後に甘茶でも飲んだら完璧やろ。(※)
と思うのが正直なところだ。
(※)灌仏会(花まつり・釈迦の誕生日を記念する日)と近いので合体させたらいいという意見もそれなりに確認し、私もそう思うので。
(※)ただし「灌仏会(花まつり)にはカレーを食べよう」は、ある仏教僧侶クラスタ…インターネット露出が多い僧侶と、その発信を享受する人たちといった一部のクラスタ…の運動であるので、仏教にコミットしている人がすべからく「花まつりにカレーを食べる」ワケではないことは認識している。花まつりにカレーというのは「日本仏教の敷居を下げたいという気持ちをで発信している僧侶」や「コミットできないが、したい・敵意がないことを示したい人たち」がとる行動様式のように見える。なので別に「ゆで卵食っとけ。甘茶は寺にもらいに行けよ」でもいいと思っている。
それ以上のことが言いたいならもうちょっと調べてから言え、と思う。ちゃんと調べようとしている人たちはいるのに、お前たちはそれもせずに何が言えると思っているのか。
一応キリスト教側にも怒りは覚えている。
イースター菓子のまとめ記事や「キリスト教 ケーキ」みたいな検索需要に、企業でもないわれわれのような野良犬チームでも読まれる記事を作れるのに、
キリスト教のケーキ13選+3選~聖書モチーフのスイーツお菓子たち~
キリスト教側があまり参与しておらず
現状ガラ空き状態。
フツーに怠慢でしょう。
お菓子の歴史の本を一冊でも読めば、お菓子とキリスト教の不可分さが読み取れる。
時には、日本人パテシエたちが、その背景に自分たちのアイデンティティを溶け込ますことができないことへの苦心のようなものもうかがえる。
キリスト教徒ならばすでに、その苦悩を飛び越えた場所に立っているのに。
我々は順次検索需要のある記事を作っていくので、そこに広告など掲載したい人はお声がけください。
もちろん、ご自身のメディアで張り合っていただいてもかまいません。