AppleのCMの炎上したらしい。
これが延焼して、一部の「日本人には付喪神という観念があるからこのCMは受け入れ難い」という意見を言う人びとが現れたようだ。
しかし、この発言は日本文化研究家や愛好家、文化人類学者、比較民俗学者?あたりが看過できなかったようで、付喪神雑語り懲罰隊(これは運動名として私が勝手にこのコラムで使う名称です。)が動きを見せていた。
どうも、この雑語りは
「アメリカ(一神教) VS 日本(アニミズム)」
という構図で語りたい人もあぶりだしたようで、私は現代日本人キリスト教徒なので、自衛のためにも付喪神という観念はそのうちに学ばねばならないことリストに入れておくべき案件だと認識した。
以下はそのメモ的なものである。
目次
「付喪神の日本史」を読む.pdf
まずもってこの「付喪神の日本史」(烏山奏春著)を読むのが良いらしいが、
私自身はこの資料の購入の許可はリーダーからもらわなくてはならないので、この記事はそのプレゼンの意味もかねることになる。
https://www.seichoku.com/item/DS2004587
(※私たちが「付喪神」という観念を勉強するためのリソースをどれくらい割くべきか、というのはチーム内ですり合わせておかなくてはならない案件なのである)
ここまで整理したことピックアップ
これまでインターネットでたゆたうなかで整理したこと
「付喪神」が日本で有名になったのは近年
「付喪神」とは何ではないか
その近年の「付喪神」の意味から逸脱したものも『付喪神』と呼ぶ人たちが今回たくさんいた(総称バグを起こしている)
海外にも付喪神」的な存在はあるのか
memo
前日本はアニミズムではない そして現代日本もアニミズムではない…らしい
やさしい文化人類学者の本を精読したい(希望)
廣田龍平先生の本は難しいが、何冊か読むことでなんとなくつかめてくる感じがあったので、やはり積読リストに入れておいて正解、と言う感じがする。
「アニミズム」の整理ができた(できてないがこれからできそうな見通しが立てられた)のは廣田先生の論文のおかげだと思っている。
日本の神学校、廣田龍平先生を招聘してもいいんじゃないだろうか。
(妖怪やら民間説話というのあ「一神教VS日本」という構図で雑に語りたがる方たちとかなり近接していると実感している)
先人を継承しなかったことで起こるバグについて、私はまだ何も知らない
大勢の人間たちがそうであるように、私も「私(と私の大切な人)が楽しく幸せに生きられればいい」と考える人間である。過去のことを知って、他者のことを知って、『それで私(私たち)は幸せになりますか?』と、いう声がこだまする。
否、ならない。勉強はぜいたく品だし、知ろうとする営為ははむしろ、素朴な人生から幸せも楽しさも奪う。おのれが何を踏みつけているか、だなんて、知らない方が幸せに決まっている。
知ろうとする営為は私から楽しさも幸せも奪った。私は空になり、そして私には十字架だけが残った。私は私の人生の物語をそう語る。
私が黄泉に床を設けたとしたら、イエスもそこにいて一緒に『妖怪大運動会』をしている。それが私の信仰告白(2024年ver.)だ。
髑髏の丘で磔刑に処された男の声が聴きたくて、私は彷徨っている。
っていうか私、この映像、当初「何かの映像作品」だと思って『きれいな~』と思いながら見ていた。最後にApple製品が出てくるまでCMだと気づかなかった。私はつぶされていくモノたちを見ながら、あたまの片隅で、東日本大震災で流された人たちの憑依体験の書籍を読んだときのことを思い出していたような気がする。(奥野修司「死者の告白 30人に憑依された女性の記録」)この書籍は憑依体験のノンフィクションなので、読んでいると色んな人たちの死の様子を疑似的に追体験するようになってしまい、私はたぶん、そのことを思い出していた。