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「約束の虹そうめん」茹でてみて感じた課題と展望~七色三輪そうめんよ空の蛇で在り続けてください~いのちのことば社さんへの提案

「約束の虹そうめん」こと、ノアの箱舟イメージの三輪そうめんを購入して、茹でて実食してみました。

そこで感じた、この商品に対する希望というか、願いというか、が明確に出てきたので、ちょっと書いてみます。

「半束ずつタコ糸でくくった」ものパッケージにするのはどうですか…?

この商品を知って思ったことはいろいろあったのですが、やっぱりどうしても気になったのが「個別で七色茹でるの、ハードル高いかも…」でした。

いざ届いてパッケージを開けてみても特に個別の茹で方について言及がなく、念のため、「いのちのことば社」さんウェブサイトや、製造元である「池利」さんウェブサイトにも確認しに行きましたが、わかりやすいところには、多色そうめんの茹で方について解説されたコンテンツを見つけることができませんでした。

そんなこともあって「良いおそうめんだし、七色いちどに茹でても問題ない品なのかな?」と思い、一気に茹でることにしました。

そして、茹でて実食してみたところ、全色いちど茹での風味への影響を実感し、『やっぱり色ごとに茹でるべきだったんだ…』と反省しました。

そこで改めて落ち着いてインターネットを探してみたところ「タコ糸でしばって茹でる」「輪ゴムでしばって茹でる」という方法があることを知りました。

(五色そうめん「おいしい茹で方」

もしかしたら、『おのれの知識のなさを恥じるべき』とか『公式じゃなくても、もっと上手に調べられたでしょう』と思われる方もいるかもしれませんが、少なくとも2025年時点のインターネット上の情報では、色付きそうめんの茹で方を「色ごとに茹でる」と想定されている方もけっこういらっしゃる様子があります。

動画に頂いたコメント

→あるキャンパーさんのブログ(探してこれたら探してくる)

タコ糸と色ごとの茹で方解説書同梱だけでも…

で、思ったのが

色束ごとにタコ糸でくくったパッケージにしてほしい。できれば半束ずつ。

タコ糸と色ごとの茹で方解説書同梱だけでもいい…!!

公式ウェブサイトに茹で方解説を載せるだけでも……!!

ということでした。

これが「池利」さんの領域なのか、「いのちのことば社」さんの領域なのか、イチ購入者としてはまったくあずかり知らないところなのですが…。

「半束ずつ(25gずつ?)くくってほしい」というのは、この商品が「七色であることに意味がある商品設計」で、おそうめん1食分の平均が2~3束であることからです。

血糖値スパイクの注意喚起が多い昨今、先に野菜やタンパク質を摂取している場合1食1~1.5束くらいの消費量になるのではないかと思います。

七束おそうめんを一回でゆでる家庭、つまり3人家族以上…3人以下の家庭に箱入りそうめんを贈る・贈りたいと思う人の数、というのは、当方まったくわからないいので、とりあえず自分勝手を承知で、

半束ずつタコ糸でくくられていれば
一度に調理する量を手加減することができて

色ごとに茹でる方法をがかなり伝わりやすくなる…

ということを考えてしまいます。

基本的には自家用というよりギフトを想定した品だと思うのですが、贈る相手への負担が大きいことが想定される品というのは、二の足を踏んでしまうのが正直なところです。

箱に込められたメッセージも、かわいらしいイラストと商品の雰囲気で緩和しようとしていますが、そのメッセージ自体は非キリスト教徒の方からするとどうしても圧のあるものなので、それで商品が商品としての親切さに欠ける設計となると、やっぱり贈るのためらいが生まれます。

キリスト教徒どうしへの贈答のみを想定しているなら別に良いのですが、いのちのことば社ウェブサイトの解説には「福音を伝えるきっかけにもなり」と書かれてあるので、非キリスト教徒への贈答も想定しているのだと認識しています。

「なんでこんなに文句つけるん?文句あるなら買わんかったらエエやん」と思われても仕方ないと思うのですが、以下、ライターが「虹色の三輪そうめん」が存在し続けてほしいと願う理由をお伝えしていきます………。

「虹色そうめん」は三輪そうめんの領域で作られ続けてほしい、とある日本人キリスト教徒の想い

「三輪そうめん」の領域で、七色そうめんを販売されているのは「池利」さんと「小西」さんだと認識しています。


池利 三輪そうめん 七色そうめん (14束/700g/約9人前) 木箱入り


三輪そうめん小西 みわのにじ

ライターは、アラブ人キリスト教徒の研究者である菅瀬晶子先生(1971-2025年)の論文に影響を受けています。そこで書かれていたことを読んで‟日本の文化を愛しながらキリスト教徒である意識を、食文化を通じて感じることができるのでは…?”と考えはじめたのが、2024年です。

アラブ人キリスト教徒のうち、メルキト派カトリック信徒とマロン派カトリック信徒は、ローマ・カトリック傘下に属するがために、ギリシャ正教徒よりも欧米への憧れが強い。ギリシャ正教徒やイスラーム教徒への対抗意識から、欧米により近い宗派の信徒であることを誇りとし、ときにアラブ人であると名乗ることをためらう傾向すらみられる[菅瀬2005: 132]。彼らの内面では常に、アラブ人としてのアイデンティティと、キリスト教徒としてのアイデンティティの相剋が繰り返されているのである7)。しかしながら、宗教・宗派の別を問わず、東地中海地方すべてのアラブ人に共通する食物である麦粥にキリスト教的意味あいを持たせ、それを誇ることは、すなわち彼らのなかで乖離したキリスト教徒としてのアイデンティティと、アラブ人としてのアイデンティティを結びあわせ、親和性を持たせようとする行為といえはしないだろうか。キリスト教徒たちが誇らしげに麦粥をふるまうとき、そこにはイスラーム教徒に勝る存在でありたいという、キリスト教徒としての自尊心と、彼らと同じアラブ人としてのアイデンティティを抱いていたいという渇望がこめられているのである。

人は小麦にて生かされる―麦粥にみる、アラブ人キリスト教徒のアイデンティティの表象―菅瀬晶子,2007

そして、ライター自身は、ふつうの日本人と比べても三輪山周辺の神話・信仰体系・文化に執着している部類の人間である、と思います。小学生のときから愛読している児童小説の影響だと思います。

「約束の虹そうめん」を取り上げる前から、「三輪そうめん」を動画に登場させたり、「三輪山説話」について言及したコンテンツを書いたりしていたのはそういった背景からでした。

そして、三輪そうめんはその周囲の信仰のいとなみに出自を持つ食品である、と認識しています。

そして、日本でも世界の人たちにとっても「虹」は「空の蛇」であった、という話を知って、「三輪そうめん」には「虹」を重ねることがありうべきことなんだと認識しましたし、

虹を蛇の姿とみる観念は、日本でも、かなり明確に跡づけることができる。この問題について、ニコライ・ネフスキーは一九三二年に、ロシア語で、「天の蛇としての虹の観念」を発表している。(中略)宮古島では、地上の蛇にたいして、虹を天の蛇とみていたのである。

(引用:小島 瓔禮著,東京美術「蛇の宇宙誌: 蛇をめぐる民俗自然誌」1991年 p.

こうした観念は、ヨーロッパ全域にも広まっている(ハルヴァ・196)。東ヨーロッパでは、虹は海や湖や川の水を吸って、あらためて雨として地上に撒くといい、、はっきりと「虹の蛇」の観念があって、巨大な蛇の一種であると想像している。西ヨーロッパに住むウラル諸族のエストニア人は、虹は雄牛の頭を持ち、川に下ってきて、水を空にするという(ホルンベルク・444)。フランス西北部のブルターニュ地方でも、虹の蛇は燃える眼をした雄牛の頭である。ローマ人は、虹は大地から水を飲むと考え、同系統のルーマニア人も、虹は両端が川から出ているという。古代ペルシャでも虹を蛇と見たそうである(リーチa・922)

(引用:小島 瓔禮著,東京美術「蛇の宇宙誌: 蛇をめぐる民俗自然誌」1991年 p.)

むしろ三輪そうめんは「日本において、虹を用いる蓋然性のある食品」であるハズだと思いました。

「虹」は、キリスト教徒にとって、神と人間との契約と約束を思い起こさせる存在であり、非常に多くのキリスト教徒が虹におのおのの思い入れを持っているかと思います。

つまり「約束の虹そうめん(虹色の三輪そうめん)」は、

三輪山約束の虹ノアの方舟

食文化

三輪山をとりかこむ信仰体系文化に興味を持ち、食事を通して自らのアイデンティティを認識できるんじゃないかと思っている現代日本人キリスト教徒からしたら、奇跡のようなパッケージなのです。

しかし、三輪そうめんの公式的見解からも「七色三輪そうめん(虹色三輪そうめん)」の文化的背景に対する言及が少ないように感じました。

文化的蓋然性をなくして、このちょっとクセのある「虹色そうめん」という商品のが人々に望まれつづけるものなのか、わかりません。

(おそうめんはやっぱり「暑い夏に短時間で手間をかけずに茹でられる」というのがメリットのひとつなのであり、それが『なん手間かかけて、七束茹でる商品なんです』というのは、なんでも簡略化が貴ばれる昨今、だんだんと需要をなくしてしまうのではないかと思ってしまいます)

ですから、せめて、パッケージにおいて工夫できるところを工夫していただいて、贈り・贈られ・作り・食べられ続けてほしいと思ってしまいます。

日本において虹が七色であると考えられるようになったのは明治維新あたりかららしいので、「虹色そうめん=七色そうめん」である必要性は、必ずしもないのかもしれませんが、とはいえ現代日本ではやはり「虹=七色」で浸透していると思います。「日本において虹は七色じゃありません」と啓蒙してその先に色数を減らした「虹そうめん」と提供していくのか、半束ずつタコ糸でくくったパッケージを作るのか、だったら、後者のほうがハードルは低いんじゃないかと感じます。

これは小声ですが、「虹色三輪そうめん」のパッケージで売れるものが、キリスト教企業の出しているパッケージだとしたら、それってめちゃくちゃ面白いことになるんじゃないのか………という気持ちもあります。

「世界を変えたいならこんなところで意味不明なブログ書いてないで直接投書しろ」と思う方もいると思います。時がきたらします。時が変われば「これはやっぱり違った」という考えになっているかもしれませんが

「みわのにじ」「池利の白いそうめん」茹でた動画はこちら

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