教会HP制作・オンライン献金導入・礼拝動画にお困りの場合は(8/4)

「未成年の得度式」という動画見つけた。そのうち児童虐待と見做されるだろうけど今は違うみたい~宗教問題か毒親問題か

僧侶ユーチューバー(お坊さんYouTuber)のまとめ記事を作る過程で、こんな動画を見つけた。

もし埋め込み再生できなかったらコチラから

もし埋め込み再生できなかったらコチラから

「5歳の得度式」「8歳の得度式」なのだという。

こういうことが「ある」というのがまずもって驚きであった。最初は「すごい」と思ったし、私自身は現代日本において伝統宗教にコミットしている方々には尊敬の念を持っている側の人間ではあるので、尊いとも思った。

けれど、この動画を『全世界に発信(※)しても問題ない』と思っているこの感覚は、なかなかに世情と隔離されているのではないかと思わざるをえなかった。

(※)念のため申し上げておくと、この動画の公開に使われているプラットフォームは「YouTube」というサービスである。「アクティブユーザー数は、2022年1月時点で25億6,200万人(うち定額制サービス契約者数は8000万人以上)であり、ソーシャルメディアとしては世界第2位。」(ウィキペディアより。2024.5.12閲覧)

動画発信者「お坊さんの映像制作」)と動画の被写体別の方々です。念のため。

今はまだ声高に糾弾されることはなくても、数十年後には何かしらで取り上げられることにはなるだろうな、と思う。

現時点でこういった営為について、
檀信徒の方々やそのほか僧侶さんはどう考えられているのだろうか…?

インターネットをたゆたいながら少し眺めてみたので、以下はその記録となる。

「未成年の得度」が宗教虐待に該当するか

ちなみに私自身は真言宗の寺の次女として生まれており、言うなれば宗教3世である(曾祖父:僧侶→祖父:NOT僧侶→父:僧侶)。親はさほど家の行事には関わらせなかった。現在はそれが感謝してもしきれないムーヴだったと感じてはいる。兄はどうだったかは知らないが、未成年の時分にそこまでコミットさせている様子もなかった。

ただ、成人した兄に、父が得度の意思(≒家業を継ぐ意思)を再度確認しているところに立ち会ったときのことは今でもたまに思い出す。兄の回答が重々しく「どうしようもないけんな」的なものだったのを私は忘れられないでいる。


こういう若い日の苦悩が、早く、人生のそのものの重さに押し流されて、過去のことだと笑える日がくることを今でも祈っている。

私はもう「若い時代の苦悩」というナイーヴなものに寄り添える季節をとうに過ぎてしまった。子もおらん。だから「未成年の得度」そのものの是非を述べる気にはならない。(述べないとは言ってない)

「宗教虐待」とは何か…

【児童虐待の定義、児童虐待事例について】
(①基本的な考え方)
問1-1 児童虐待に当たるか否かという点において、宗教関係であることをもって、その他の事案と取扱いが異なることとなる部分はあるのか。


(答)

背景に宗教等(霊感その他の合理的に実証することが困難な方法により個人の不安をあおるものを含む。)の信仰があったとしても、保護者が児童虐待防止法第2条各号に規定する児童虐待の定義に該当するものを行った場合には、他の理由による虐待事案と同様、児童の安全を確保するため、一時保護等の措置を含めた対応を講ずる必要がある。児童相談所や市町村においては、児童の権利条約第 14 条において、児童の思想、良心及び信教の自由について児童の権利を尊重すべきことが定められていることや、児童の場合には必ずしも自由意思の下で宗教等を信仰しているとは限らないこと等も踏まえ、宗教等の信仰に関する事案についても、児童虐待に該当する行為が疑われる場合には迅速に対応することが求められる。


なお、以下問2―1から問5-2までにおいて、宗教の信仰等を背景として生じる可能性のある児童虐待事案を例示している。児童虐待防止法第2条各号に定める児童虐待への該当性を判断するに当たっては、これらの例示を機械的に当てはめるのではなく、児童の状況、保護者の状況、生活環境等に照らし、総合的に判断する必要がある。また、その際には児童の側に立って判断すべきである。

(引用:「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」について:厚生労働省子ども家庭局長発行/令和4年 12 月 27 日)

外野ながらこの件について少々考えてみた。外野からわかる部分のみの言及だし、完全に「机上の空論」でしかないが。

「剃髪」は身体的虐待?

→ギリちがう(「児童側に立って判断すべきである」)

・児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある体罰を行うことは身体的虐待に該当する。((②身体的虐待問2-1(答))
・理由の如何にかかわらず、児童を叩く、鞭で打つなど暴行を加えることは身体的虐待に該当する。()

…ということなので剃髪はソレ自体は身体的虐待には該当はしないんだろうなという感じ。常時それを強要されている場合は身体的虐待と心理的虐待のあわいくらいに該当する可能性も出てくるが、動画からは不明なので知らん。

「得度式の一連」は身体的虐待?

→ちょいグレー(動画のみでは不明/「児童側に立って判断すべきである」)

・長時間にわたり特定の動きや姿勢を強要する等して身動きができない状態にする行為は身体的虐待に該当する。
また、児童の就学や日常生活に支障が出る可能性がある時間帯まで宗教活動等への参加を強制するような行為は、児童の発育や児童に対する養育の観点から不適切なものとしてネグレクトに該当する。


「得度式のインターネット公開」は心理的虐待?

→ちょい黒なグレー(動画のみでは不明/「児童側に立って判断すべきである」)

問3-4 児童に対し、他者の前で宗教等を信仰している旨を宣言することを強制するような行為は、児童虐待に当たるか。

(答)児童本人が宗教を信仰していないにもかかわらず信仰している旨を宣言することを強制する行為や、児童本人が自身の信仰する宗教等を他者に知られたくない意思を有していることを考慮することなく、他者に対して信仰する宗教等を明らかにすることを強制する行為(特定の宗教を信仰していることが客観的に明らかとなる装飾品等を身につけることを強制する行為を含む。)は、児童の心情を著しく傷つけるものであり心理的虐待に該当する。

「児童本人が宗教を信仰していないにもかかわらず信仰している旨を宣言することを強制する行為」「児童本人が自身の信仰する宗教等を他者に知られたくない意思を有していることを考慮」が場合によっては該当するんだろう。

そりゃぁ現時点ではお子さんたち本人の意思が確認できたからやってるんだろうけど

宗教等に関する児童虐待を受けている児童は、宗教等の教義の影響を強く受けている場合があるため、自らの状況を問題として認識し訴えることが難しい場合がある

(引用:宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A(令和4年12月27日 厚生労働省子ども家庭局長通知)(概要)p.4)

ってのも非常にわかることなので、となるとやっぱり未成年時は本人の発言関係なくインターネット公開は………少なくとも「ソレ主題のコンテンツ化」は……………ちょっとどうなんだろう……………

「ハスノハ」に否定的な意見、見つけた。僧侶の回答は2件

※2024年5月時点

 私は、思う事があります。ある日ニュースを読んでいると、
得度式について取り上げられていて、
「小学生の息子を得度させました。本人は、初めこそ嫌がっていた
ものの、周りの子たちもみんな丸刈りなので、慣れたようです」
と母親が記者さんに答えていました。

 これ、カルト宗教とやってる事変わらないんじゃ?
子どもは、自分で意思表示をすることができません。
たとえ「いやだ」と言えても、大人から圧力をかけられれば、
恐怖のあまり隷従してしまいます。
 じゃあおっかさん、あんたは得度したのかえ?完全に、
自分の子をアクセサリーにしているように感じました。
 まして、今の日本では宗教なんて慢心のためのアクセサリー
みたいな考えの人が多いのに。( https://hasunoha.jp/questions/65693

これに対する僧侶の回答は2件。以下、私による要約を掲載します。私による要約なので、当然私の思想が入ります。私の思想に染まりたくない方は直接お読みください。

「文化の一つの形なのかとも思います。」「人生の善し悪しは私たちにはなかなかわからない」

https://hasunoha.jp/temples/7

教える内容がカルト宗教の教義かどうかが重要。

( https://hasunoha.jp/users/1524 )

「ハスノハ」では、ほかにはこういった質問は見つけられなかった。

「未成年の得度式コンテンツ」は『デジタルタトゥー』か『デジタルフットプリント』か

デジタルタトゥー

・本人の意思に関係なく、インターネット上に残り続ける情報

・就職や結婚などの機会を失う可能性がある、犯罪被害に遭う可能性があるなど、マイナスの影響を与える可能性がある

デジタルフットプリント

・本人の意思でインターネット上に公開した情報

・仕事やプライベートでの活動をアピールしたり、新しい出会いを見つけたりするために活用できる

(参考:https://spaceshipearth.jp/digital-tattoo/ 2025年3月4日公開分)

まあおそらく、「得度します」と言った子どもたちは『自分の意思』だと思っているだろうが…

宗教等に関する児童虐待を受けている児童は、宗教等の教義の影響を強く受けている場合があるため、自らの状況を問題として認識し訴えることが難しい場合がある。置かれている状況を客観的にアセスメントし、児童本人や保護者に対して、児童虐待の定義に基づいて説明、指導を行うことが必要。

(引用:宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A(令和4年12月27日 厚生労働省子ども家庭局長通知)(概要)p.4)

…ってコトもあるし、「未成年が”自分の意思”と主張すること」を真に受けるのは善い大人がすることなんかというと…

やっぱ「全世界に発信される媒体への、得度式の公開」はデジタルフットプリントではなくデジタルタトゥー寄りだろう……とは…思う………。

雑感とむすび

むすび

私自身はアタマのいかれた宗教コミット族なので、近現代の人間の感覚でもってしてものごとをどーこー言う人たちとは距離を置きたい側である。

(距離を置かれて安心するのは向こうのほうなんだろうが)

なので「未成年の得度」そのものへの否定的な感覚は、あんまりないんだと思う。

正直、この件においては、現代日本「これはやべぇのでは」という行動様式を見せるのがキリスト教やそのほか新興宗教の専売特許ではなかった、ということが分かって(?)、慰められている。(←動画コンテンツにして公開していいと判断したそのムーヴのことを言ってます)。

ヤバいのはキリスト教徒の専売特許じゃないのよ。

っていうかこの一連の流れを考えると自分が通ってるキリスト教会とかのほうがフツーに現代日本に即した倫理してんだなというのが感じられて、それはそれで慰められている。

色々書いたが、見つけてしまったからには、公開されているそれぞれの地域の自治体に相談するだけしてみますか。判断するのはその人たちなのだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ten + 7 =