天草四郎(の伝説)について調べる時がきたので調べている。その過程でふと
天草四郎ってカトリックで聖人認定ってされてないんだっけ?
と思った。調べてみたら、少々長い講演記録に文字おこしされているのが見つかったので、該当箇所だけピックアップしていく。
殉教者というのは、実は三つの条件がありまして、「死ぬこと」それから「キリストの信仰のゆえに死ぬこと」と「無抵抗で」ということがあります。
(2016年2月7日「日本二十六聖人殉教者祭」講話・ミサ説教「殉教、今、高山右近に倣う意味」 講師:洗礼者ヨハネ川村信三師(イエズス会)カトリック本所教会ウェブサイト)
A:さっき、殉教の三つの条件ってありましたよね。あれでいうと天草四郎さんは、武器を持って抵抗してしまっていますから、殉教者にならないんですよ。しかも天草四郎って、本当に存在したんですかという疑問まで出ています。天草・島原一揆というのは、実は、小西たち有馬の旧臣、すなわち古い家臣団たちが起こしたといわれていまして、実は、天草四郎さんは、名前を借りられただけなのではないかと。ということで、たぶん列福は無理です。
(2016年2月7日「日本二十六聖人殉教者祭」講話・ミサ説教「殉教、今、高山右近に倣う意味」 講師:洗礼者ヨハネ川村信三師(イエズス会)カトリック本所教会ウェブサイト)
ということで、日本カトリックの「聖人・福者」の欄に『天草四郎時貞(ジェロニモ/フランシスコ)』の掲載もないし、ほか島原の乱の中心人物たちの名前もナシ。
少なくとも2025年時点ではされてないということでOKのようだし、この感じだと列聖・列福されることは定義のほうが変わらない限りないのではないか…という感じだ。
目次
列聖・列福について
せっかくなので、改めて『聖人認定』というのがどういうものなのか整理してみた。「聖人」のほかに「尊者」「福者」という聞きなれない用語もあった。いやぁ、世界って知らないことだらけですね。
定義
尊者 | 列聖省が様々な調査によってその人物の生涯が英雄的、福音的な生き方であったことを公認する時につけられる敬称 | ●北原怜子 |
福者 | 尊者の徳ある行為あるいは殉教によりその生涯が聖性に特徴づけられたものであったことが証されると公認。 殉教者 : イエス・キリストに対する信仰のためにいのちをささげた 証聖者(しょうせいしゃ): 死ぬことはなくともさまざまな困難の中、イエス・キリストに対する信仰を宣言し続けた | ●ユスト高山右近 ●ペトロ岐部と187殉教者 |
聖人 | 生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのこと。列福後、もう一つの「奇跡」が前提となり、福者と同様な調査と手続きを踏んで教皇が公に聖人の列に加えると宣言されることで認定に至る。 殉教者 :イエス・キリストに対する信仰のためにいのちをささげた 証聖者(しょうせいしゃ): 死ぬことはなくともさまざまな困難の中、イエス・キリストに対する信仰を宣言し続けた | ●聖フランシスコ・ザビエル ●日本26聖人殉教者 ●聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父 ●聖トマス西と15殉教者 |
(参考:カトリック中央協議会「尊者・福者・聖人とは?」/クリスチャンプレス「【解説】「尊者」は信徒の模範、カトリック教会が認定する敬称とは?」)
列聖・列福の手順
- 調査申請:ある人が亡くなり、”この人は聖人だった、教会で公に聖人として認めて欲しい”と願う人や団体は、その願いをバチカンの教皇庁列聖省(以前は典礼聖省)に届け出ます。列聖省には、全世界中から申請書が提出されており、それらを調べ、列聖の前段階である列福に、その人が値する人であるかどうかを調査します。”正式に調査を始める”と決まった人は、列聖省が「今からこの人の調査を開始します」と宣言したときから、申請された人は「神のしもべ・神のしもめ」と呼ばれるようになります。
- 調査第一段階:列聖調査の管轄権は、通常、聖人だと思われる人が亡くなった場所の教区司教です。当該教区司教は、必要な書類をそろえて列聖省に提出(これは大変な作業です)します。細かい生涯の記録、証言等など。音声、ビデオ、映像など、その申請した方は①活躍した地方で尊敬されているかどうか、②多くの人がその人に取り次ぎを求めて祈ったりしているかどうか、③その人を知っている人が現存しているか、④その証言は等など。と沢山の証拠書類の提出を求められます。
- 調査第二段階に入りますと→提出された書類だけでなく、現地調査も行われます。先ず、お墓とご遺体の調査から始まります。この調査が終わった段階で申請された人は「尊者」と特別な尊称を受けます。
- 必須項目として欠かせないこと:「奇跡」について
*殉教者の場合:列福のためには”奇跡があったかなかったか”は必要ありません。しかし、列聖のためには、その”当該人の取り次ぎによって引き起こされた一つの奇跡”が必要になります。
*証聖者の場合:列福においても、列聖においても”奇跡が必要”とされています。 “奇跡”については医学的調査、その他種々の調査が実施されていますので、列聖省には医事委員会、歴史委員会、神学委員会があり、そこを経て列聖省委員会にかけられます。 - 調査第三段階に入りますと:列聖省の専門委員会に、ポストラトール(申請者代理人)をとおして申請の準備を行います。その後、列聖省枢機卿委員会の会議での審議をうけます。
- 最終審査は、現教皇に委ねられています。教皇が「列福の教令」、「列聖の教令」にサインされたとき承認されたことになります。
(引用:カトリック教会がお送りする「心のともしび」心のともしび運動 松村信也によるコラム)
むすび
▽このあたtり1分以内で雑に語った動画
(このコラムを読まれた方に関しましては大したことは言ってないです)
このコラムを作った経緯
「天草四郎は龍になって、池島のヌシになり、人々から雨乞いされている」という伝説が気になり、それについて調べている。当方は「史的イエス」に興味がないタイプのキリスト教徒であり、史的イエスではないイエスが、距離と時代を経た人々に影響を与えてきた歴史じたいを私自身の慰めの根拠として受け取っている人間である。
そんなノリで、「史的天草四郎」にもさほど興味がない。
あくまで「天草四郎伝説」について気になっている…そんな感じだ。しかもカトリックに帰依している身でもない(当方は木っ端みじんのプロテスタントキリスト教徒である)。
だから天草四郎がバチカンの何かしらの認定を受けようが受けまいに大きな興味は持てないのだが、「天草四郎の福者・聖者の認定を申請する」としたらその過程で作られる必要がある資料には興味を持たざるをえない身の上に最早なってしまっている、ことはわかる。
だからこの辺は、過去に申請をした団体があるのか?ないのか?資料はどうやったら読める?など、調べてみたい…とは思う………。
ちなみに私が興味を持っているのはこういうトピックである ↓
雑感
調べる過程で、
「おそらくカトリックやアブラハム宗教に帰依してるワケではないのに、『バチカンは天草四郎を聖人認定しろ』みたいなことを言っている人」をチラホラみかけた(わざわざソースを引いてはこないので、発狂した人間が見た幻覚だと思っていただいてもかまわない)。
アブラハム宗教に帰依しているワケでもないのに、カトリックの設定したものの公認を与えてほしい気持ちというのはどういうものなのだろうか?(もし帰依してたらホンマ御免やで)
ちなみに、公式に列聖・列福されてない聖人への崇敬も根強くある、というのは、カトリックの強い文化圏でもアルアルのようだ。
私が知っているケースなら、フランス・ブルターニュ地方には聖人の数がそれこそ八百万(※数がきわめて多いこと)あり、バチカンから認められていない聖者への崇敬というのも依然として人気らしい(参考:「ブルターニュ死の伝承」)。私が知っているのはこの書籍の情報が集められた時代のものだから、現在にも適応できる話かは不明だが。
『バチカンに公認されてほしい』と願う権利は、少なくともカトリックに帰依する/したいと願っている人の特権だろうと思えてしまうのだが…まあ人間は複雑なので…色んな背景・色んな世界観があるのもわかるので…ご自身の望みが叶えられる時が来たらいいですね、と思う。
私の願いも聞き届けられることを祈りつつ。
なんと、島原の乱の慰霊のために「世界最大級」の「木造マリア像」が建てられたのだとか。完成したのは2024年(令和6年)だ。
「原城聖マリア観音」世界最大級木造マリア像が長崎にできたらしい!~令和生まれの島原の乱慰霊活動~
「原城聖マリア観音」カトリック聖職者やキリスト教徒たちの反応
心霊スポットとして原城跡に行くなら「聖マリア観音」も寄るべし?彫刻家の心霊体験から造り上げられた慰霊マリア像
この地は依然として長崎屈指の心霊スポットとしても有名であり、この「原城聖マリア観音」制作者の方ご自身も、真理像制作のきっかけのひとつに原城での心霊体験がある。島原の乱はまだ終わってない…と言えるかもしれない。
そしてなんなら「重税」という感覚が非常に身近になってきた昨今、この「島原の乱」の記憶は私たちの歴史に影響を及ぼすかもしれない。
その先には、天草四郎の列福・列聖はあるかもしれない。





