スペインのロールケーキには「ジプシーの腕」というのがある。当方は現代日本人キリスト教徒なので、日本のロールケーキである〈あんこロールケーキ〉を「カインの腕」と呼びならわして問題ない身の上であると思った(詳細は下の動画にて説明)。既製品と差別化するために「米粉」「つぶあん」などを基本に据えようと考えている。
目次
「カインの腕(米粉のあんこロールケーキ)」レシピ&コツ
米粉ロールケーキ生地にあんこを巻けばいいだけなので、お好きなレシピがある方はそれに準じて作られるとよろしいかと思います。
ただ、私はなぜか米粉のロールケーキ生地がうまく作れず(米粉シフォンケーキや薄力粉ロールケーキは自分でも満足いく仕上がりになるに!)やっと納得のいくものにたどり着いたのが…下記に記した「あかねん」さんの米粉カステラの生地でした。分量が少々違うので材料はコチラにも明記しますが、作り方は「あかねん」さん準拠でお願いいたします。
基本の参考レシピ(生地)はコチラ→https://recipe.cotta.jp/recipe.php?recipeid=00022421
【23㎝ロールケーキ型】(ロールケーキとして1.5倍で作るので分量はコチラに計算しなおして明記)
※はちみつを使用しています。乳幼児には食べさせないでください。
[生地]
卵白 … 3個
上白糖 … 53g
卵黄 … 3個
はちみつ…30g
牛乳…15g
米粉 … 75g
[フィリング]
あんこ…200~300g
寒天…1g
ゆずの皮…適宜
基本の参考レシピ(生地)はコチラ→https://recipe.cotta.jp/recipe.php?recipeid=00022421
【コツ】
メレンゲをたててからそこに卵黄を入れ、粉もハンドミキサーでぐるぐる混ぜていく作り方が特徴。米粉はグルテンが出ないのでハンドミキサーで遠慮なく混ぜてOKです。
粉を入れても気泡が壊れずキメこまやかな仕上がりになります。油脂が入ってないのにやわらかく仕上がるのはハチミツと牛乳のおかげなのでしょうか…?
私にとっては、放浪の末たどりついたノドの町です(「じゃあ洪水でリセットされるんですね」ってツッコミはそれはそうだと思います。当方は終末思想のあるタイプのキリスト教徒なのでその時はこのレシピもアルマゲドンですね(意味不明))。
「ジプシーの腕」について
スペインではロールケーキのことを「ジプシーの腕(ブラソ・デ・ヒターノ)」と呼ぶのだそうです。
(現在では「差別的だ」という意見もあり、使うのを控える動きもあるそうですが)。
名前の由来は、ロールケーキの仕上がりがジプシーの腕に似ているからだ…とか、ジプシーへの謝礼がケーキの切れはしで支払われていたからだ…とか所説あるようです。
「ジプシー」と「カイン」をつなぐモノ
キリストを磔刑に処す際に使われた釘はジプシーの先祖が鋳造したものであるという説、アダムの息子であり、弟アベルを殺したカインこそが、ジプシーの祖先であるという説を百科事典に見つけることができる。11前者に関しては、鋳物師がジプシーの代表的な職業である、というイメージが市民の間に深く浸透していらこととの関連を容易に見出すことが可能である。後者もまた、ジプシーの典型的行動様式とされていた「放浪」を説明するために考案されたと考えられる。人類初の殺人者であるカインは、神罰として放浪を課され、それを妨げられないために額に烙印を受けた。カインを殺した者はその七倍の不幸を被るとされ、人々はその烙印を観ると恐れれ彼に触れようとしなかった。それまで農業を生業としていたカインは、農作物が育たないという罰を受け、鋳物や楽器演奏によって生計を立てた。以上のような副次的な物語が、ジプシー像の背景的説明として機能したのである。
11…Zedler,S.522 (ドイツ語百科事典)
(引用:「民族的属性としての呪いと贖罪:エジプト逃避とジプシーの起源」野端聡美 2009年pp.185-186)
スペインには「ジプシーの腕」というロールケーキがある。
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「ジプシーの祖先はカインという説も、辞書に載るくらいには西洋の人口に膾炙
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日本食にキリスト教的な意味を見出して再解釈したい私
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あんこロールケーキのこと「カインの腕」って呼んだろ!
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あずきは赤でカインのイメージカラーも赤や!
日本語でカインちゅうたら有島武男「カインの末裔」や!
有島は北海道出身!「カインの末裔」の舞台も北海道や!!
日本のあずきは北海道生産がほとんどや!
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既製品とは差別化せんとさすがに各方面から顰蹙買いそうや!せや!!米粉で作ったろ!!
…って感じで思い至りました。
そのほか予備知識
類似のお菓子~タルト(松山)とら巻(長崎)あか巻き(熊本)
東京でコレ系のお菓子を買うには
→Peacookにて確認したことアリ[ふみ巻(あわしま堂)]
→駅近のビルに付属したスーパーやデパ地下でみかけたことがある[一六タルト]
→CooP系列の店で一時的に取り扱っていたのを見たことがある[一六タルト]
→熊本アンテナショップ(銀座熊本館)[あか巻き]
超余談・「人体の名を冠した食べ物は残酷」という電波を受信
つまり、少なくとも17世紀~18世紀までは虐殺の儀式は、冒涜であると同時に贖罪であるという認識が共有され、したがってそれは、「神との和解を印付け、流された血の純化・再生力によって再社会化を引き起こす供儀」であったのだが、「啓蒙の世紀の人道主義が作動し始める」と。苦痛を与えたり、身体を切断したりする昔ながらの儀式を断罪するような新しい感性(感じやすい魂」が生じてきた、というのだ。
(六車由実「神、人を喰う」人身御供の民俗学 p.231
日本の農耕社会は、生き物を自ら殺す、という行為をできうだけ排除することで発展してきた。それは、殺生による暴力を振るわないで済むと同時に、動物と対峙することによって必然的に晒される身の危険、すなわち自らが殺されてしまうかもしれない、という人間が自然から受ける暴力を免れることである。
(六車由実「神、人を喰う」人身御供の民俗学 p.230
だから日本人が「暴力的だ」という意見をもってもそれはありうべきことなんですけど、べつにそうじゃない習俗が世界にはごまんとあって、「●●文化は優れている/劣っている」という見方などはもはや古くなった文化人類学が席巻している今日の日本において、
「人体の名を冠した食物を食べることが“残酷”」だと述べるには、踏むべき手順を踏んでから…だと思います。
踏んでる場合で異議申し立てがある場合は…コメント欄にでもどうぞです。
前提~日本食の文脈化
「そもそも何がしたいの?」という説明はコチラ
(思想強め)現代日本人キリスト教徒のお菓子・ごはん~クリスチャンの文脈化に対する1つの思想と決心【食事編】
菅瀬晶子先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。菅瀬先生の論文がなければ、この記事は生まれていません。